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「統合」は、「妥協」じゃない。
今回からテーマとするのは、「統合」です!
「目覚め」「アセンション」へ向かう運動を重視するスピリチュアルの世界で、「統合」は、とても大きな意味を持ってきました。
人間の意識がより高次元化し、宇宙と一体となっていく上で、二元論(「光」↔︎「闇」、「善」↔︎「悪」といった、二つの極を前提とする考え方)を乗り越えて、「統合」することが必要なのだと、多くのチャネラーやスピリチュアリストが語っています。
しかし、この「統合」、とても誤解されやすいワードでもあるんです。
「統合」というのは、全体の意見をまとめ、対立を中和させ、みんなが仲良くできる妥協案を探すことだと思われがちです。
だから「統合を目指そう!」と言われても、なんとなく理想論のように聞こえてしまうことも…
でもほんとうの「統合」の意味は、「妥協」とはまったく違うものなんです!
「統合」とは、「光」と「闇」の妥協案としてのグレーゾーンを作ることではなく…
「光」と「闇」という区分自体をなくしてしまうことだからです。
・「光」と「闇」をめぐる想像力
そもそも、二元論的な考えというのは、自分の価値観や理念にこだわるからこそ生まれるものです。
まず、自分が信じている、あるいは正しいと思う、何らかのものがあるとします。
(たとえば、あるアニメに登場するキャラクターたちのなかで、自分が特別に好印象を持ち、応援したいと感じるキャラ)
しかし、世界には、自分が良しとする対象とは、相反するように見えるものが存在します。
(たとえば、自分が応援しているキャラと仲の悪い、敵役のキャラ)
すると、必然的に、自分が良しとする対象は「光」・「善」、そして、それに相反する対象は「闇」・「悪」に見えてきてしまうのです。
自分の価値観や理念に合うもの=良いもの、合わないもの=悪いもの、という考えこそ、「光」↔︎「闇」、「善」↔︎「悪」という二元論の根本です。
二元論というのは、個人個人の価値観や理念に左右されるものだからこそ、自分にとっては「光」であるものが、他者にとっては「闇」である、という事態が生じます。
多くの人は、それを受け入れることができず、他者との対立が起きるわけです。
あらゆる人が共通して持つ、絶対的な「光」と「闇」の定義は存在しません。
「正義」や「道徳」というのは、あらゆる人にとって「光」じゃないの?と思われるかもしれませんが、それも本当は、個人個人によってかなり捉え方が違うものですし、時代や地域差に大きく左右されるものですよね。
・「光」のなかにいるうちは「統合」はできない
スピリチュアルに興味があって、「統合」を目指そうとする方が、時に陥りやすい罠。
それは、「光」側にいる自分が、「闇」側を「受け入れてあげる」ことを、「統合」と見なしてしまうことです。
たとえば、「私はこのキャラが一番良いと思うし、推されるべきだと思う。だからこの敵役のキャラは本当は作品にいない方がいいけど…。
それでも寛大な心で、敵役のことも認めてあげるのが統合だよね!」というような、考え方。
このような考え方では、自分の価値観や理念にもとづいた「光」と「闇」の区分を乗り越えることはできません。
だから「光」側の自分が、「闇」側よりもすぐれているという思想に、すぐにおちいってしまいがち。
「闇」を「受け入れてあげる」という態度、つまり、「闇」に対して「妥協」する態度は、実は「統合」ではなく、「分離」を強めてしまいます。
「光」↔︎「闇」という優劣の区分があるままでは、ほんとうの「統合」は成し遂げられないんです。
・「統合」=「どっちでもいい」状態になること
重要なのは、「光」と「闇」の区分自体を問い直すことです。
自分が「光」だと思っているものは、他者にとっての「闇」である可能性があること。自分が「闇」だと思っているものは、他者にとっての「光」である可能性があること。
まずはその事実を受け入れてみます。
自分が持っていた「光」↔︎「闇」の区分は、絶対的な真理ではなかったということを認めると、その区分自体が無意味なものに思えてきます。
いままで自分の考えや行動を縛っていたその区分自体を手放して、「光でも闇でも、どっちでもいいじゃん!」という状態にいたる。
それが「統合」です。
先ほどのアニメの例で言えば、「自分の推しキャラも、その敵役も、どっちもいた方が作品が面白くなるし、それでいい。むしろみんな推し!」という境地にいたること、でしょうか。
「光」側の自分が、「闇」に大して「妥協」するのではなく、「光」と「闇」という定義自体が不要になるような、ある意味で達観したような境地が(けっして無理矢理ではなく)訪れた時。
その人にとって、ほんとうの「統合」が成し遂げられたということになるのだと思います。
次回は、少し哲学的な話も交えながら、ほんとうの「統合」にいたる過程について深掘っていきたいと考えています。お楽しみに!